天安門事件とは? わかりやすい解説で基礎を押さえよう  ~戦車の悲劇から25周年をわかりやすく動画付~

 


ネット社会において、検索すれば何でもわかる時代。
しかし、そのような時代にあってもタブー視されることの
多い事件の一つである中国天安門事件

 
中国では天安門事件とネット検索すると、即遮断を受けるという
そして日本でも語られる事は少ない。空白の歴史とまでは
いかないにしても、それに近いものがある。

 

2014年の今年は、そんな天安門事件から25年経ったこともあり
少なからず報道されている。

今回はそんな天安門事件をなるべく、わかりやすく解説してみた。

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天安門事件とは?

 

 

1989年6月4日に起こった事件。
中国の大学生を中心とした、一般市民たちによる
民主化を求めたデモ活動である。

国家VS国民での戦争とも呼ばれ悲惨な事件となる。

 

 

 

胡耀邦の死がきっかけとなって胡耀邦の葬儀までに
10万人もの人が天安門広場に集結してデモは始まった。

 

そのデモ活動をする民衆を、中国人民解放軍が
武力弾圧で無理やり抑え込んだとされる事件

そしてこの武力弾圧により、多数の死傷者
出てしまった忌々しい事件として語られる事となる。

 

ちなみにこの武力弾圧の内容はたいへん過激なため
この事件後は中国内で語られることはタブーに踏み込むとも
言われ多くを語る物はいなくなっていった。

まさに言論弾圧の状態だ。

 

中国人の間でも無かった事にする動きもあるため
空白の歴史ともされることがある。

 

 

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主な武力弾圧の内容

 

1989年6月3日に軍用ジープで民間人が轢き殺されたことを
皮切りに空気は一変する。

 

戦車が走行し、銃を持った軍隊が物々しい雰囲気で
天安門を行き来する。また一般市民への無差別な発砲や
装甲車での轢き殺しなどもあったとされている。

 

街は銃と戦車の音のみで溢れ、物々しい空気となっていった。

 

一般人の他に、軍の人間も亡くなったとされ、正しい
死者の数などの報告も把握しきれなかったとされる。

一説によると2000人とも言われる民間人と
100人の軍人が亡くなっているとの報告もある。

しかし、噂やデマなどで正確な情報は無いに等しい

 

 

後ろから迫る戦車から逃げる市民

 

事件後

 

中国当局は広範囲にわたり抗議者とその支持者を逮捕した。
そして自国の周辺でのほかの抗議も厳重に取り締まった。
また外国の報道機関などはすべて国から締め出すことを
行い非難を浴びる事となる。

 

国内の報道機関に対しても規制をかけて国内を統制させ
結果的に、真実が知れ渡るのには時間がかかった。

 

今なお、中国内のネットでは検索することの出来ぬ
事件として扱われている。

 

 

また、動画も用意してみたので興味のある方はぜひ。

ウィキリークスが明かした真相 *少し怖いのでご注意を*

深い部分まで知りたい方や、悲惨な画像もネットに出ているため
詳しく知りたい方は、さらなる検索をしてみるとよいであろう。

 

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