【ぶっ飛び論争】  STAP細胞はそもそも必要か!? 【原点回帰】


読者の方も、ご存じSTAP細胞は
ニュースやワイドショーで連日のように取り上げられている。

焦点となっているのは、STAP細胞の存在の有無ではなく
小保方氏への捏造疑惑や、理研関係者などへの研究体制への非難、
さらには、小保方氏をネタにしたテレビ番組の賛否など
尽きる事の無い場外論争

もう、STAP細胞が元々なにを目的に、そして
何のために必要となるのか?そんな疑問も薄れていく。

そもそも、STAP細胞が存在したと仮定して
本当に必要な物なのか?という事をあまり議論されていない。

そこには、科学を越えた倫理の問題が垣間見え
少なからずSTAP不要論を唱える科学者もいる。

そんなSTAP不要論を考えてみよう。

スポンサーリンク




STAP細胞をはじめとした遺伝子操作

idgsg
科学の進歩により、近年ではIPS細胞なども
注目を浴びたばかりである。

STAP細胞も同様に注目を浴びているが
共通するのは、遺伝子レベルの世界に人間が
足を踏み入れていくことになるという事実。

特に目を引いたのは、老化やガン、そして
細胞の若返りなどにも使える可能性があると言う事だ。

筆者はこれを聞いて、恐ろしい事なのではと思う部分もあった。
それはなぜか?

自然の摂理に反する科学の進歩


ガンなどの病気は、なるべく良い方向になるようにすればよいと
思うが、老化や細胞の若返りというのはどうだろうか。
IPS細胞の研究が発表された時は、アルツハイマーの研究にも
役立たせることができると言われた。

そして、難病や、重度障害といった現在の医療では
到底どうすることも出来ない問題にも応用していけるそうだ。
しかし、この難病や障害をどうのようにしていくのかが
ポイントとなる。

事前に遺伝子操作をし、そういった事例を無かったかのように、
人間がこれから生まれてくるように出来るとしたら・・・?

過去には、こういう障害、難病があったけど今はリセットできる。
という事に発展すると、障害や難病を抱えて生きる人々は
どういうことなのか?という倫理感への問題に変わりかねない。

クローン問題の時期にも騒がれたことでもあるが
自然の摂理に反してまで、人間を進化させた場合
それは人間と呼べるものとなるのだろうか

筆者は過熱する遺伝子細胞の研究も扱い方によっては
不要になるような気がしてしまうことがある。

STAP問題から問われているのは、こういった倫理観も含まれていると考える。

スポンサーリンク